味噌汁をかけられて退散した大蛇:蛇塚

蛇穴と書いて「さらき」と読む。こんな地名が奈良にあります。まず、初見では読めません。 蛇のとぐろや、土を紐状にして輪にして積み上げて作る土器をサラキと言うらしく、そこから関連された当て字ではないかと思われます。 さて、蛇穴という地名から想像できますが、蛇に関連する伝承があります。 かつて役行者に振り向いてもらえない女性が姿を変えて蛇になりました。その姿を村人に見られたが、村人から弁当の味噌汁をかけ

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火祭りと大蛇伝説

滋賀県守山市の勝部神社と住吉神社には、天皇の平癒にちなんだ大蛇の伝承があります。 近江の国、栗本郡と野洲郡の境に大川があった。三上山で2川に分かれそのうち南川は土山に当り大渕となっていた。その渕に昔から大蛇が住んでいて、近辺の住民は困っていたが手の打ちようがなかった。嵯峨天皇のとき、雷が鳴り天地振動することがあり、時の博士が占うと先の大川に住むおろちが天皇の命を奪おうと振動させているということだっ

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一夜伏塚──南北朝古戦場

千名あまりの死者を弔った塚です。 時代は南北朝時代。比叡山の僧宥覚が山門の義徒一千余人を率いて印岐志呂(いきしろ)の宮に篭もり、足利方と戦ったとされています。これは、建武3年に足利勢が鎌倉から京に攻め上がったことであり、ここを攻めたのは高師直です。寄せ集めの一千名足らずでは、本職の武士と戦えば勝負にならなかったことでしょう。結果、一夜にして破れたとされています。 翌日の周辺は、さぞや凄惨な光景だっ

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若き源頼朝に挑んだ侍を祀る塚

これは妖怪DBには無いものです。 滋賀県の守山にある源内塚。源内兵衛真弘という武士を祀ったもの。内容は、平治物語に記述があります。 平治の乱に破れて都落ちした源義朝一行。居眠りをし、はぐれた頼朝。平氏方の侍である源内含めた数名に取り囲まれます。 しかし、頼朝が持っていたのは源氏の名刀髭切。かつて鬼の腕を切り落としたということで鬼切とも呼ばれる刀です。RPGで言えば、エクスカリバー装備の勇者に挑んだ

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お茶子地蔵──蛇と娘の話

 観音正寺のある衣笠山に、お茶子谷というところがあり、お茶子地蔵と呼ばれてる1mほどのお地蔵様があります。お茶子というのは女性の名前ですが、伝わっている話は2つあります。  1つ目は、佐々木氏の側室になった女性の話。 お茶子は美人で知られていた豪族の娘。この辺りを支配していた佐々木(六角)氏の殿様の側室となった。殿の寵愛を受けたお茶子だったが、他の女達から妬まれ、換言されることになる。 殿はその話

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姫塚──落城と姫君と祟りの話

姫塚は、滋賀県の日野町にひっそりと存在する、地元でもあまり知られていない石碑になります。 その経緯は案内板があり、そこに全部書いてありますが。 上迫城が戦国時代に落城した。その時の姫君がこの辺りで自害し、村人が塚を作りダマの木を植えて供養した。大木になった木を寺の薪に使った所、その寺は全焼したため、再び木を植えなおした。昭和34年に道路工事で塚がなくなることになったため、石碑を建てた。 ということ

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千人の垢を落としたら如来が出てきた件

法華寺には浴室があります。これは「から風呂」である、蒸し風呂の一種です。作られたのは奈良時代ですが、建物自体は明和3年(1766年)に再建されたものになります。 ここで起きたとされる伝説は、以下のとおりです。 光明皇后は聖武天皇の后です。皇后は庶民の救済にも力を入れ、施薬院(やくいん)を作り、庶民のために薬を与えました。救済の一つとして、この浴室で千人の病人の垢(あか)を流す業を行ったところ、千人

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人魚塚

今回は人魚の話です。 日本最古の人魚の話というのが日本書紀に書かれています。記述は以下のようなもので、推古天皇の27年(西暦619年?)に、蒲生川で人魚が見つかったという内容です。 「蒲生河に物有り。其の形、人の如し」 また、何故か同年に堺の方でも人魚が見つかったらしく、どうもこの年は何かあったのかもしれません。 さて、日本書紀には詳しく書かれていませんが、この人魚は三体らしいということです。 蒲

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生きている絵馬──三重県・津観音

津観音にある、抜け出る絵馬の話です。絵馬というものはよく馬が抜け出るらしく、特に狩野法眼作のものはよく出歩きます。 こちらの狩野法眼作と言われる絵馬は、抜け出たために作物を荒らしたため、網を被せられたとか。ただし、第二次大戦の戦災で焼けてしまい、現在は復元されたものであるそうです。 津観音は、三重県津市にあります。日本三大観音にも数えられるそうですが、恥ずかしながら知りませんでした。五重塔は新しい

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