戻る 三重県の怪異伝承21件
雨乞(丹生神社)
嵯峨天皇が祈雨、祈晴を行われ、天に通じたと言われている。
石仏
御座浦石仏ござうらいしぼとけ地蔵尊は、明治元年に弥七老人の夢枕に立ち、腰から下の病を治すこと、この場所から動かしてはならないことを伝えた。
一願成就川之地蔵尊(来迎寺)
川の氾濫が度々起きたために祀られた地蔵。現在では願い事を一つだけ叶えてくれるということで知られている。
絵馬(津観音)
狩野法眼元信の描いた絵馬が、夜になると絵を抜け出して畑を荒らしていた。絵に網をかけると馬は抜け出さなくなった。戦災で焼け、現在の絵馬は復元されたもの。
絵馬(津観音)
狩野法眼元信の描いた絵馬が、夜になると絵を抜け出して畑を荒らしていた。絵に網をかけると馬は抜け出さなくなった。戦災で焼け、現在の絵馬は復元されたもの。
おうむ石(度会町)
声を返してくれる巨石。手前に呼びかけ場があるのでそこから声をかけると返ってくる。詩や浄瑠璃に取り入れられ、有名になった。
おうむ石(志摩市)
声を返してくれる巨石。「語り場」の物音が「聞き場」で聞こえる。
大入道(諏訪神社)
狸に化かされることが多かったため、退散させるために大入道を作った。大四日市まつりに出る大入道のからくり人形の山車は、それを模したものと言われている。
興玉神石(二見興玉神社)
興玉神石を遙拝するための鳥居が夫婦岩。沖合700mのところにあるが、現在は水没し、見ることは出来ない。
鬼(鬼ヶ城)
鬼ヶ城おにがじょうは、鬼とも言われる海賊が根城にしていた。坂上田村麻呂が討伐を命じられたが、難所であり近づき難かった。千手観音の化身である童子の導きにより、討伐に成功した。
おりゅう柳(楊枝薬師堂)
三十三間堂を作るとき、おりゅう柳という巨木を材木にしようとしたが、大きすぎて動かせなかった。そこに女が現れ、木を動かすことができた。その女は木の精であった。柳の木の跡に楊枝薬師堂が建てられた。三十三間堂を作った理由は後白河法皇の頭痛平癒のためであり、楊枝薬師堂は頭痛山平癒寺と名付けられた。
片目の魚(平群池 )
池の主である片目の魚を捕ると神罰が下ると言われており、獲った者は病で死んでしまった。また、ヤマトタケルが足を洗った伝承もある。
河童(永泉寺)
元文元年(1736年)6月22日、河童が馬に悪さをしていたため、船津村の永泉寺の玄山和尚が縛り上げて説教をしたという話が伝わっている。河童は和尚の夢に老婆になって現れ、船津村のものに悪さをしないと誓ったため、放された。
牛鬼(牛鬼淵)
二人の木こりが山小屋で作業をしていた。のこぎりの32枚目の刃は鬼刃だが、ある日、欠けてしまった。一人が直しに山を降りたが、残った一人の元に怪しい人が訪れる。鬼歯が修理中であることを告げると、牛鬼に変わったその人物に殺された。今も牛鬼淵として名前が残る。
国府阿弥陀如来の伝説( 府南寺)
鎌倉時代、覚乗上人が伊勢の大神に会いたいと願い二見ヶ浦に向かったところ、龍が現れた。龍に袈裟をかけると龍は姿を消した。後に府南寺の阿弥陀如来の肩にその袈裟がかかっており、伊勢の大神の真の姿が分かった。
蘇我入鹿首塚
蘇我入鹿の首がこの地まで飛来したと伝えられている。
ダイダラボッチよけの巨大草履
巨大なダイダラボッチが大王町の沖に住み、嵐を呼ぶなどの悪さを働いていた。しかし、村人が編んだ巨大なわらじを見て、自分より大きな者が居ると思って退散した。今でも巨大なわらじを海に流す神事がある。
立烏帽子(片山神社)
鬼であり、坂上田村麻呂と夫婦でもあると伝えられる立烏帽子(鈴鹿御前)が祀られている
一目連(一目連神社)
多度大社の別宮、一目連神社から天目一箇神が現れるとき、激しい雷雨が起こると言われている。神の邪魔にならないように、社に扉は設けられていない。
藤原千方(千方明神)
四鬼と呼ばれる配下を従えた藤原千方ふじわらのちかたが朝廷に反旗を翻したが、朝廷の派遣した紀朝雄きのともおの和歌により四鬼は消滅し、藤原千方は滅びてしまう。後に蘇り周翁と名乗ったが、坂上田村麻呂に滅ぼされた。
龍王櫻(長徳寺)
室町時代、大器和尚の読経を聞くために日参していた美女がいた。正体は門前の淵に住む大蛇であり、彼女はお礼に竜鱗と桜の種を置いていった。その桜は今も「龍王櫻」として存在する。竜鱗は雨乞いに使われる。
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