戻る 京都府25件
大蛇(閼伽井護法善神社)
修行中の峯延ぶえん上人を大蛇が襲い、雄の大蛇は捕らえられた。雌が供える水を絶やさないように誓ったため、二匹の蛇は助けられ、閼伽井護法善あかいごほうぜん神社に祀られた。
藤原忠文の怨霊( 末多武利神社)
藤原忠文が平将門討伐に向かったが、着く前に将門は討たれていた。 藤原実頼の意見により、忠文は恩賞をもらえなかった。忠文の死後、実頼の子らに災いが起き、忠文の怨霊を末多武利神社またふりじんじゃに祀った。
愛宕山の鬼女(一条戻り橋)
愛宕山の鬼女が夜な夜な現れ、悪事を働いていた。渡辺綱に腕を切り落とされた。
悪鬼(如来院)
飛鳥時代、麻呂子まろこ親王が朝廷から鬼の討伐を命じられてやってきた。神仏の加護により鬼を討伐した親王は、七つの寺を開いた。そのうちの一つ仏性寺の如来院では、親王の使った鞭(むち)が伝わっている。
石神(岩神神社)
江戸時代、中和門院の庭に移された岩が、帰りたいとすすり泣いたり、子供に化けたりしたため、僧侶に相談した。引き受けた僧侶が岩を祀り、その場所が有乳山岩神寺となる。現在は岩神神社。
牛尾観音の大蛇(大蛇塚)
1313年、内海浪之介景忠が大蛇を弓で倒したと伝えられる。その際、蛇の毒に侵されたが、地元の僧から薬を処方されて助かった。退治したとされる場所に大蛇塚がある。
牛祭り(広隆寺)
紙の仮面をつけた摩多罹神が牛に乗り、赤鬼、青鬼の仮面をつけた者たちを引き連れ、周辺を回る。京都三大奇祭の一つと言われているが、現在は不定期開催。
絵馬の猿(ご香水神社)
具合の悪くなった猿回しに、猿がご香水を汲んで飲ませた。猿回しは回復し、喜んだ猿が奉納の舞を舞った。その様が絵馬になって残っている。また、絵馬の猿が抜け出して付近の田畑を荒らしたため、網が被せられたと言われる。
お菊稲荷
青山近江守幸澄の妾と家臣の不義密通から養子青山鉄之助が自害し、青山氏は転封させられた。この事件を元にして、青山氏にまつわるお菊と皿屋敷の話が今に伝わると考えられる。かつてはお菊井戸もあった。
鬼笛(京都 朱雀門)
博雅はくが三位さんみが朱雀門の前で笛を鬼と取り替えた。博雅が亡くなった後、帝が笛を吹かせようとしたが誰も音を出せなかった。音を出せた浄蔵という僧に笛を朱雀門で吹かせたところ、鬼が笛を褒めた。
怪鳥(京都御所)
後醍醐天皇の建武元年、紫宸殿に怪鳥(以津真天いつまで)が現れ、弓の名手である真弓広有まゆみ ひろありが射止めた。このような怪異が現れるときは世が乱れるときであり、南北朝の騒乱が長らく続いた。
清盛手植えの楠(若一神社)
平清盛が植えたとされる松。この木に触ると祟りがあるとされ、西大路通に市電を通す際にも不幸が続き、市電は木を避ける形で敷かれた。
鯉右衛門(赤池)
慈観橋の近くの赤池に、池の主である鯉右衛門と呼ばれる大きな鯉が住んでいた。村人がこの鯉を捕まえようとしたところ、村から火の手が上がったように見えた。村に戻ったが火の手はなく、再び捕らえようとしていたときにまた火の手が上がった。今度は本当の家事で、村は焼けてしまったという。現在、赤池らしい池はない。
鯉塚(浄禅寺)
袈裟御前に横恋慕した遠藤盛遠が、誤って袈裟御前を殺してしまったため、袈裟御前の供養をするための恋塚であると一般には言われているが、大きな池に住んでいた鯉の妖怪を殺して埋めた塚であり恋塚は誤りとする説がある。
貞任峠
安倍貞任あべのさだとうは「前九年の役」(1051-62)で討ち取られた地方氏族。亡骸は祟りをなしたため、分けて埋葬された。ここには首が葬られている。
酒呑童子(大江山)
平安時代。源頼光が、大江山の酒呑童子という鬼を討ち取った。
徐福伝説(新井崎神社)
秦の始皇帝に不老不死の薬を探すように命じられた徐福が、この地にたどり着いたと言われている。徐福が祭神になっている。
撞かずの鐘(成相寺)
1609年、鐘を新たに鋳造するときに「子供はいるが寄付する金はない」といった女の赤ん坊が、鋳造に巻き込まれる事故が起きた。出来た鐘を撞くと赤ん坊の鳴き声が聞こえるため、鐘が撞かれることはなくなった。
土熊(大虫神社)
栄胡えいこ、軽足、土熊つちぐまという鬼が大江山に居た。聖徳太子の弟である麻呂子まろこ親王が、銅鏡を身に着けた犬を連れ、討伐に向かった。栄胡、軽足を退治したあと、土熊を見失った。犬の銅鏡が照らし、土熊を打ち取ることが出来た。その銅鏡は、火災にて消失している。銅鏡を身に着けた犬を模した狛犬が、大虫神社にある。
鉄輪井
裏切った夫を恨み、鉄輪をかぶって丑の刻参りを行った女がいたが、満願の前に井戸の前で死んだ。その井戸を鉄輪井と言い、この井戸の水を飲むと縁が切れると言われる。悪縁切りとして有名。
不成の柿(平重衡の首塚)
平清盛の息子である平重衡しげひらは、奈良を焼き討ちしたため、奈良の衆によってここで首をはねられた。死の前に柿を食べたことから柿の木が植えられたが、実はならなかったという。現在は何代か変わっており、実はなる。首を洗った池もあったようだが、現在は確認できない。
へそ石(六角堂)
平安京に遷都するとき、道を通そうと計画したところに六角堂があった。桓武天皇が祈ったところ、北へ五丈(15メートル)移動したと伝わる。元の場所である六角通にへそ石と呼ばれる石があったが、現在は六角堂の境内にある。
またげ石(梅宮大社)
奈良時代、この石を檀林だんりん皇后がまたがれ、子宝に恵まれたという伝説がある。石は祈祷を頼めば見ることができる。
八幡明神(鍬山神社)
1165年、天岡山に誉田別命ほむたわけのみことが、弓矢を持った武人として現れた。鍬山神社の八幡宮に祀られている。その後、二つの面が降ってきたため、鍬山神社に収められている。
霊光(離宮八幡宮)
貞観元年(859年)、山崎で神降山に霊光が見られ、岩清水が湧いたため、この地に石清水八幡宮が建立された。離宮八幡宮は、石清水八幡宮の元社にあたる。
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