戻る 滋賀県27件
油坊(金剛輪寺)
昔、金剛輪寺から油を盗んで売っていた坊主が、謎の病気にかかりなくなった。その後、寺の総門あたりから、「油を返そう」と言いながら油壺を持って歩く黒い影が見られるようになった。
一夜伏塚
印岐志呂いきしろの森に比叡山の僧祐覚が千人を引き連れて足利を迎え撃とうとしたが、一夜にして破れた。その者たちを弔った塚と伝えられる。
犬胴松の伝説(大瀧神社)
稲依別王命が大蛇を退治するため、愛犬小石丸と探索を続けていた。命が疲れて寝ていたとき、小石丸の吠え声で目を覚ました。小石丸の吠える理由がわからず、命は小石丸の首を跳ねたが、首は命を狙っていた大蛇に噛み付き、やがて川に消えた。小石丸が埋められたのが胴松であり、祀られているのが大瀧神社内の犬上神社、大蛇と首が沈んだのが大蛇ヶ淵と言われる。
岩船、磐座(岩船神社)
比良大神が繖山に来たとき、乗ってきたとされる岩船がある。また、菅原道真の御神霊が遷座したとされる磐座もある。
狼(菅山寺)
人に化けていた狼を見破った武士が、菅山寺まで追いかけ、討ち取ったと伝えられる。
お菊(長久寺)
孕石はらみいし政之進の侍女お菊は、恋人である政之進の心を確かめようと、家宝の皿をわざと割った。政之進は残りの皿も割り、お菊を斬り殺した。皿は供養のために修復されて寺に納められている。
お茶子地蔵(観音正寺)
佐々木家の美しい側室が、他の側室に妬まれて穴に閉じ込められて蛇をけしかけられて殺された。その供養するための地蔵と伝わる。また別の話によれば、通ってくる男が蛇であり、正体を暴いたが殺されてしまった娘を弔ったものとも伝わる。
お寅ヶ池
お寅という美人の娘が、池の主の大蛇に気に入られて引きずりこまれた。ここをお寅ヶ池という。お虎ヶ池のことか? 位置はお虎ヶ池のある霊仙山。
鬼(明王院)
首に縄をつけて鬼と引き合う絵馬がある。
鬼(馬見岡綿向神社)
詳細は不明だが、鬼と相撲をとっている絵馬がある。
鬼(横川 元三大師堂)
角大師、元三大師と言われた良源は、疫病が流行ったときに鬼の姿となり、疫病を祓った。その姿を護符にしたものは疫病に効くとされる。また、おみくじ発祥の地としても知られる。
お花狐(長浜別院大通寺)
東本願寺の別院である大通寺では、本堂の二階にお花狐という化け狐が住むと言われている。かつて長浜城内に有った寺が外に移築される際、城内派の京都行きを妨害して移築に賛意を示したと言われる。
おろち(勝部神社)
嵯峨天皇の病いを治すために、原因であるとされた大蛇が近隣の農民によって退治された。その蛇の胴が祀られた勝部神社では、1月に火まつりが行われる。これは大蛇の胴とみなした松明を燃やす祭りになっている。
怪牛(左目)
かつて佐目村は「かねの村」と言っていたが、ある時、全身を針金のような毛で覆われた怪牛に襲われた。それを救ったのが左目の童子であり、それにあやかり佐目村となった。現在、旧の佐目村は永源寺ダムに沈んでいる。近くの若宮八幡では、金山姫命が祀られている。これは鉄鋼の神であり、製鉄の伝承に出てくることの多い一つ目につながる。
菊石姫(蛇の目玉石)
切畑太夫の娘は成長するにつれ蛇体になった。周囲に疎まれたが、世話になった下女に片目を渡して余呉湖の主になった。姫は下女を守るため、欲深い領主にもう一方の目玉も差し出し、盲目となった。その時、目玉をぶつけた石が蛇の目玉石として残る。
源内塚
平治の乱で落ち延びた源頼朝を捕らえようとしたが、返り討ちにあった源内兵衛真弘を祀った塚。
寿命石(多賀大社)
平安末期、俊乗坊重源は大仏殿の再建を託されたが、高齢であった。多賀大社に参り、二十年の寿命を得た重源は東大寺を再建した。多賀大社には寿命石があり、延命を叶えるとされている。
大蛇(百々神社)
平安中期、度会橋に大蛇が現れ地元民を苦しめていた。この蛇は水面に目が映り、四眼と思われていた。通りがかった敦実親王が退治し、大蛇は百々神社に祀られている。
天女の羽衣(衣掛柳)
水浴びをしていた天女が羽衣を奪われ、男の妻になる。その羽衣をかけた柳があったが、折れてしまい、今は案内板すら無い。
人魚塚
蒲生川で人魚が掴まったという記述が日本書紀にある。この人魚は三兄弟であり、東近江と和歌山にミイラがあり、残りの一体を弔うための塚であると言われている。
姫塚
上迫城は儀俄ぎが氏の城だったが、戦国のあるときに落城した。姫がこの辺りで自害し、供養のために村人が木を植え塚を作った。大木になった木を寺の薪に使った所、その寺は全焼したため、再び木を植えなおした。昭和34年に道路工事で塚がなくなることになったため、石碑を建てた。
比夜叉池
伊吹山の麓に三島池がある。平安時代、池が枯れてしまった。この地の領主である佐々木秀義の乳母である比夜叉ひやしゃ御前が人柱となり、池には水が戻った。
深坂地蔵
平清盛に命じられ、平重盛が運河を掘ろうとしたが、工事が難航した上に大石を割ったところ人夫が腹痛を起こした。石には地蔵の姿が現れていたため、工事を中断してこの地に納めた。そのため、堀止め地蔵とも言われる。
将門の首(歌詰橋)
京から帰る俵藤太を追い、将門の首は飛んできた。歌を読むように藤太に言われたが、詰まってしまって落ちたため、歌詰橋と言われる。近くにある普門寺の裏手の円墳に首は葬られたが、洪水のときに首は抜け出した。
むべ
天智天皇がこの地で子沢山、長寿の夫婦と出会った。夫婦に長寿の秘密を聞いたところ、この地の霊果、むべを食しているからと答えた。帝はこれを賞味され、「むべなるかな」と納得し、毎年献上するようになったと伝わる。一度途絶えたが近年になって復興し、今でも大嶋奥津嶋神社から皇室や近江神宮に献上されている。
竜宮の鐘(三井寺)
三井寺の「弁慶の引き摺り鐘」として有名だが、元は俵藤太が琵琶湖の竜宮で竜神からもらったもの。弁慶に奪われたときには「イノー、イノー(関西弁で帰るの意味)」と泣いたため、弁慶に蹴り落とされ、傷ついたと言われている。
六波羅北条一族終焉の地(蓮華寺)
鎌倉末期、陥落した六波羅探題を後にした北条の一党が進退窮まり、蓮華寺本堂の前で自害した。400以上の供養塔がある。
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