戻る 奈良県の怪異伝承31件
阿閦如来(法華寺)
光明皇后は聖武天皇の妃。法華寺で千人の汚れを落とすという誓いを立てられた。千人目の患者の汚れを落とされると、患者は阿閦如来へと姿を変えた。
雨師神(丹生川上神社)
人声の聞こえない山奥に私を祀れば天下のために雨を降らし長雨を止めよう、という神宣があり、建てられた。かつては雨乞いや雨止めに朝廷からも重用された。
天岩戸を開く相談(天高市神社)
天照大御神が天の岩戸に隠れた際、八百万の神々が集まって相談をした場所だと伝わる。
一本足
猪笹王という大イノシシが撃ち殺されたが、その後に一本足の妖怪になって現れた。丹誠上人が祈祷をし、12月20日だけは妖怪が出でも良い日という条件で、地蔵尊に祀られた。
牛(神波多神社)
旅の絵師の描いた牛が抜け出し、田を荒らした。描いた絵師を探し、松の木と綱を描き加えてもらうと抜け出さなくなった。
牛塚
よく働く夫婦の牛が居たが、雄牛が死んでしまった。元気をなくした雌牛も死んでしまい、やがて後を追って死んでしまった。二頭の牛は同じところに葬られ、塚としてむくの木を植えた。今ではそれが大木となっている。
馬魚(内山永久寺跡)
後醍醐天皇が吉野へ行く途中に立ち寄ったが、乗っていた馬が永久寺の池で死んだ。その後、馬の霊が馬のような顔で水草を食べる魚(ワタカ)となって池に現れた。寺はなく、池だけがある。
生まれ変わり(牛の宮)
6年働くという約束で雇われた小僧が三年目で病で死んでしまった。残りの年期は牛になって働くので、明日、牛飼いが連れてくる牛を買ってほしいと主の夢に現れた。牛はよく働いたが、三年経ってから亡くなった。牛の宮に葬られている。
おうてくれ地蔵
この地蔵は、夜遅くに前を通りかかった若者に、「おうてくれ(背負ってくれ)」といっておぶさった。若者に、親に心配かけない、早く帰ることを約束させてから降りたという。
オウテクレババ
興福寺の北円堂に“負うてくれ”と言って背中に取り付く婆が出る。これを負うてくれ婆と呼ぶ。三重塔を三回回って石を投げると出るという話もある。
鬼(新薬師寺)
元興寺に夜な夜な現れる鬼と、怪力の小僧とが格闘した。この鐘は新薬師寺にあり、鐘にはこの時のものとされる傷がある。
かえる石(元興寺)
豊臣秀吉が気に入り、大阪城に置いた石。淀君を近くに葬ったなどとも言われ、この石に招かれて堀に落ちた者が多数いると言われている。江戸時代以降も大阪城にあったが、昭和になってから軍が噂を嫌って隠した。戦後になって見つかり、元興寺で供養が行われた後、縁起物として鎮座している。
河童の傷薬(滝上寺)
滝上寺の近くでは河童がよくいたずらをしていたが、あるとき和尚に捕らえられた。河童は謝り、傷薬の作り方を教えた。明治の頃までは売っていたという。
かミなり石(秋篠寺)
秋篠寺あきしのでらの近くの里は、よく雷に見舞われた。ある日、雷が石に落ちたところ、雷はへそを取られ、二度とこの地に落ちなかった。その石は「かミなり石」として秋篠寺にある。
亀石
南西を向いている亀に似た巨石だが、西を向けば大和が泥に沈むと言われている。
吉備塚
吉備真備の墓であると伝えられる。旧日本軍の敷地であったときにも、動かすと祟りがあるとのことで動かせなかった。そのため、未盗掘の状態で発掘が行われた。
首切地蔵
奈良では火の玉をジャンジャン火という。侍がジャンジャン火に遭遇したため、刀を振り回して地蔵の首をはねてしまった。そして侍も焼かれて死んだという。
久米の岩橋
役行者が葛城山と金峰山の間に岩の橋を作ろうと、神を使役した。神々の中の一言主と仲違いした結果、妨害にあって岩橋は完成しなかった。久米の岩橋はその名残。
ゴウラ(河合神社)
河合神社の西川の縁にゴウラブチと呼ばれる淵があり、ゴウラ(河童)がいたと伝わる。
地蔵菩薩(矢田寺)
矢田寺の満米上人は小野篁とともに地獄に行ったことがある。そこで地蔵菩薩に出会い、帰ってきてから地獄地蔵を彫刻した。
ジャンジャン火(打合橋)
大和の国の家老の子に亀井式部という者がいたが、深雪という百姓の娘と身分違いの恋に落ちた。式部は打合橋で斬首となったが、橋から落ちた首を先に自害した深雪が受け止めていた。それから命日である6月7日には2つの大きな火の玉がジャンジャンと音を立てて舞い、これがジャンジャン火と呼ばれるようになっている。ここで行われていた慰霊の踊りの起源とされている。
十一面観音の像(二月堂)
二月堂の本尊は十一面観音。聖武帝の時代、閼伽器(あかき=仏前に供えるの水入れ容器)に乗って海の彼方からやってきた。
前鬼、後鬼(鶴林寺)
役小角えんのおずぬが生駒山山中で二匹の鬼を捕らえた。役小角は二匹を前鬼・後鬼として使役した。鶴林寺の山号は鬼取山といい、この伝説にちなむ。
當麻曼荼羅(當麻寺)
継母からうとまれ、出家した中将姫(ちゅうじょうひめ)が、現れた阿弥陀仏と観音の力を借り、織り上げた曼荼羅がある。29のとき、来迎した菩薩たちによって姫は西方浄土へ向かった。
飛倉
命蓮は秘法で托鉢たくはつの鉢を飛ばす術を心得ており、貪欲な山崎長者の倉を鉢に乗せて飛ばした話があり、絵巻に記されている。
啼灯籠(元興寺塔跡)
寺に新しい灯籠を建てた代わりに古い灯籠を貰い受けた家があったが、夜な夜な灯籠が啼くため、古い灯籠は元に戻した。
鍋割塚の妖怪(八阪神社)
昔、上北山村にいた大平宗介という猟師が、里に現れる妖怪と対峙した。妖怪は鉄の鍋をかぶっていたため鉛の玉では倒せず、鉄の玉で倒せた。翌朝、割れた鉄鍋が見つかった。この妖怪を葬った塚を鍋割塚といい、鍋割塚という地名があったようだが見当たらない。宗介は、この村の八坂(八阪)神社に祀られている。
姫谷池
ある娘が落ちていたかんざしを頭にさすと、かんざしは蛇に変わって娘を呑んだ。
舟渡地蔵
地蔵を寺に運ぼうとしたところ、持った人の足腰が痛み、運べなくなった。この地で祀ったところ病が治り、それからは足腰の病に効くとされている。
蛇塚(野口神社)
役行者に振り向いてもらえない女性が姿を変えて蛇になった。その姿を村人に見られ、弁当の味噌汁をかけられて退散。井戸に隠れていたところを封じられ、今でも蛇塚として残っている。
若狭井(二月堂)
二月堂の下にある若狭井わかさいは、お水取りで使われる。昔、実忠じっちゅう和尚が全国の神を勧請したが、若狭国の遠敷おにゅう明神が魚釣りをしていて遅れてしまい、詫びるために湧かせた井戸。若狭国とつながっている。
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