戻る 福岡県の怪異伝承9件
海御前(大積天疫神社)
壇ノ浦で滅亡した平家の遺体はこの地にも流れ付き、地元の者に葬られた。平家の男は平家蟹に、女は河童になったという伝承がある。ここには河童の大将である尼御前の碑がある。
大倉主、莵夫羅媛(高倉神社)
大倉主おおくらぬし菟夫羅媛つぶらひめという男女の二神が、仲哀天皇の船を止めてしまった。天皇は船頭であった伊賀彦を神官としてこの地で二神を祀らせることにすると、船は動いた。
河童(姪浜住吉神社)
黄泉の国から戻ったイザナギノミコトが禊をしようとしたところ、河童が現れて禊ができる場所へと案内した。
河童の手(きたのてんまんぐう)
「河童の手」が北野天満宮の宝物にあり、25年に一度、公開されている。菅原道真が追手に捕まりそうになった際、河童の助太刀で助かった。河童は手を切り落とされてしまったため、道真が腕を祀った。
清瀬姫(香春岳城址)
香春岳には鬼ヶ城という城があった。この城の水源となる泉を城下の娘が敵に教えてしまい、水の手を断たれてしまった。白米を落として水があることを見せようとしたが見破られ、城は陥落した。城主の奥方清瀬姫は、子供とともに自害した。この谷は「暗谷」。姫の名前は清瀬川などに残る。
九千坊河童(水天宮)
九千坊河童くせんぼうかっぱは球磨川に住んでいたが、加藤清正の怒りを買って追い出され、筑後川に移り住んだ。暴れ川である筑後川から、水天宮と農民を守るとされる。水天宮には安徳天皇が落ち延びた伝承がある。
沓塚(織幡神社 )
武内宿禰たけのうちのすくなくつを残して昇天した。その沓を埋めたとされる塚。
弘法大師とエツ(エツ大師堂)
貧しい身なりの旅の僧が川を渡ろうとしていたが、誰も船を貸してくれなかった。一人の老人が自らの船で渡したが、その僧は礼に、岸辺のアシの葉をちぎり、川に流して魚に変えた。その僧は弘法大師だった。
沈鐘伝説(織幡神社)
朝鮮半島から運ばれてきた梵鐘が沈み、それを龍神が守っているとされた。大正時代に引き上げられたが、鐘ではなく巨石であったという。
情報は古い場合や誤りがある可能性があります。もし現地へ赴かれる際は、公式の観光情報などをご参考ください。