戻る 沖縄県の怪異伝承16件
アカラトモガネ(ピャーズ御嶽)
赤良友金あからともがねという兄弟神が、久米島からやってきて農耕技術を伝えた。牧山の比屋地ピャーズ御嶽ウタキに祀られている。
犬川(平和の犬川)
目黒盛豊見親めぐろもり とぅゆみゃが合戦で追い詰められたとき、何年か前に行方知れずになっていた愛犬が現れ、敵の軍勢に襲いかかった。この活躍で目黒盛は合戦に勝った。犬が現れた場所を犬川いんがーという。
受水・走水
西側を受水、東側を走水という。昔、稲穂をくわえた鶴が嵐の中で落ちて死んだ。その跡から稲が生えてきたため、受水走水に植え直したところから、琉球の稲作が始まったと言われる。
ウサンシー(穏作根嶽)
女の付髪を拾った穏作根子ウサンシーは持ち主を探した。持ち主であった美しい乙女は、彼を善人として礼として竜宮に招待した。穏作根子が里に戻ったときには時が経ち、里のものは穏作根子を知らなかった。開けるなと言われた土産の紙包を開け、中の白髪に触れると老化し、死んでしまった。そこにある墓が穏作根嶽うさんだき
カシチー(按司墓)
兼城按司かねぐすくあじの娘が亡くなり、按司墓あじばかに葬られた。安平田子あひらしーという牛飼いが娘が生きているのを見つけた。葬式は祝いに代わり、強飯カシチーが炊かれた。旧暦8月10日ごろに行われる「柴差し」とカシチーの由来。
キミテズリ(安須森)
キミテズリという神が現れるとき、安須森御嶽にアヲリという五色豊かな巨大な傘が見える。
社壇(末吉宮跡)
熊野権現に信仰を寄せていた鶴翁和尚は、琉球への帰国後に勧請を願い出たが国王から許されなかった。しかし、二人に熊野権現から同様の夢のお告げがあり、示された地に社を作った。
首里観音堂
王子が薩摩に人質に取られ、父である尚久王は無事に帰ってくれば観音堂を建てると誓いをたてた。王子が無事に戻ってきたため、観音堂が建てられた。
垂迹(照太寺 )
1555年、この地に毎夜のように光があり、王が調査を命じると古鏡が見つかった。天照大神の垂迹すいじゃく(仮の姿を現すこと)ということになり、寺を建てた。
日輪の子(伊祖城)
英祖王は、母が懐に日輪が入る夢を見た後、生まれたとされる。英祖日子ゑぞのてだこという神号を持つ。
人魚(通り池)
人魚(ユナイタマ)を捕まえて食べた漁師たちが居た。人魚は海に助けを求めたため、島は津波に襲われた。二軒の漁師の家の跡が通り池。
漫湖の怪物
漫湖に魔物がおり、村人を襲っていた。神が降らせた三つの石に抑えられ、魔物はガーナー森になった。今では陸地になってしまっている。イリヌシーサーはこの魔物を抑えるために置かれたもので、ガーナー森の方を向いている。
宮古島創世神話(漲水御嶽)
天帝あめのてだにより宮古島が創られた。天帝に島に人の世を作ることを命じられ、男の神である古意角こいつのと女神である姑依玉こいたまは、鬼たちの妨害を受けながらも宮古島に降り立った。2神が降臨した地が漲水御嶽はりみずうたきと言われている。
ムーチー伝説(内金城嶽)
人食い鬼と化した兄を退治するため、妹のウターが瓦の入った餅を食わせ、金城バンタ(崖)から突き落とした。この場所が内金城御嶽うちかなぐすくうたきであり、鬼餅ムーチーを食べる風習はここから来ている。
ものを言う石(波上宮)
ものを言う石を拾った者が、石を奪おうとした神から守るため逃れ、池上山に祀った。それが現在の波上宮なみのうえぐう
善縄大屋子(善縄御嶽 )
善縄大屋子よしなわうふやこという漁師が漁の最中に海中から出てきた女から大亀を貰ったが、家に帰る途中に背負った亀によって負傷し、亡くなった。三日後、家のものが墓を見たが遺体はなく、ギライカナイで遊んでいる、と空から声がした。善縄大屋子は神となったため、善縄御嶽を建てた。
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