戻る 茨城県の怪異伝承18件
飯沼の亀(弘経寺)
飯沼には主である大亀がおり、弘経寺を建てる土地を十年の約束で借りた。十年後に亀は現れたが、借用書の十に書き足し千としたため、亀は立ち去った。
茨城童子
茨城童子が龍神山に住み、巾着袋に入れて人をさらうなどの悪事を行っていたが、都で酒呑童子を退治した武士が来ると聞き、逃げていった。そのときに逃げた山が鬼越山であるという。
絵馬(羽黒神社)
絵馬の馬が田畑を荒らしたため、手綱が描き加えられたとある。絵馬には手綱が確認できる。
雄鐘・雌鐘(三叉沖)
常陸国分寺に雄鐘・雌鐘という立派な鐘があった。元々、海中から引き上げられた鐘だったが、後に雌鐘は盗まれた際に船ごと三叉沖に沈んでしまった。その時、雄鐘を恋しがった雌鐘が一人でに鳴り出したという。
起き上がりの松
禁漁の池で魚を獲った若者が、鉾をくわえた鳥に追われた。数日後、大風で倒れかかっていた松が誰も知らないうちに起き上がっており、その松には鉾が突き刺さっていた。鉾香取ほこかとり神社の近くにあった松は、今はない。
忍潮井
男瓶、女瓶という2つの石の瓶が井戸の底にある。周りが海水だった頃から、この両瓶は井戸に真水を湧き出させていた。
おとり手掛松(神之池)
不漁の時、神ノ池に鳥居を奉納すると約束したところ、魚が取れるようになった。ところが、神が鳥居と娘の「おとり」を間違えており、娘は池に引き込まれた。このときに掴んだ松がおとり手掛松と呼ばれていたが、今はない。
累の墓
数代に渡り繰り広げられた、容姿の醜さが原因による夫婦、親子間の殺人によって発生した怪異譚である累ヶ淵かさねがふち。その中で夫に殺されたとされるるいは怨霊と化し、祐天上人に鎮められた。累はこの墓に眠っている。
カッパ(手接神社)
殿様の馬が動かなくなった。河童に掴まれていたため、手を切り落とした。夜、河童が手を返して欲しいと現れたため、手を返した。河童はお礼に魚を届けに来たが、そのうち死んでしまった。手接てつぎ神社に河童が祀られている。
河童(カッパ松)
河童がいたずらをしたため、懲らしめるために括り付けたという松がある。枯れてしまったため、現在は二代目の松になる。
要石(鹿島神宮)
地震を起こすオオナマズの頭を押さえるという要石がある。水戸黄門が掘らせたが、神に止められたという話も残る。
唐猫塚
この塚の前で猫たちが集まって踊っていたが、何者かが石などを投げたために集まらなくなったと言う話がある。唐猫という名前の由来は、中国から始めて来た猫を埋めたであったり、高麗の虎の耳を埋めたためなど、由来にいくつかの話がある。
狐女房(女化神社)
狐を助けた忠五郎という若者のもとに、娘が嫁ぎ、子が生まれた。その娘に尾があるところを子どもたちが見たため、娘は巣穴に帰ってしまった。その巣穴は「お穴」として女化おなばけ神社にある。
巾着石(萬福寺)
鬼である茨城童子が退治されることを恐れて逃げたとき、落とした巾着の根付石が残っている。
咳止めの神(車丹波守遺恨の地)
関ケ原の後、佐竹氏の家臣である車斯忠くるま つなただは、転封に抵抗して水戸城を奪回しようと試みたが、失敗。潜伏していたところで咳をしたため見つかり、捕らえられて殺された。このため、車は咳止めの神として祀られている。
大蛇(蛇穴)
藤原富得が八溝山の大蛇を退治した。現在、その蛇のいた地名は蛇穴
大蛇(腐沢)
美女や鬼などに化けて人を襲う大蛇が高笹山にいたため、須藤貞信が退治した。死体が腐って油が流れた沢を腐沢と呼ぶ。
だまされた大蛇
飯沼を干拓しようとしたところ、住んでいた大蛇に妨害を受ける。大蛇と取り決めをし、大蛇が十年間だけ霞ヶ浦に移住することになり、証文を交わした。ところが、証文の「十」の文字に書き足され、「千」となり、大蛇は千年、戻れないことになってしまった。現在、飯沼は田に変わっている。
情報は古い場合や誤りがある可能性があります。もし現地へ赴かれる際は、公式の観光情報などをご参考ください。