あこやの松

あこやの松についての話ですが、いくつものパターンがあることが分かりました。

あこやは阿古耶、阿古屋などと書いたりしますが、女性の名前です。そのあこや姫と関わりのある松のことです。
平家物語にも阿古耶の松についての記載があり、平安時代にはみやこでも知られたものであったことがわかります。場所ですが、山形市の萬松寺ばんしょうじ近くにある松のことです。

元々のあこや姫に関わる松は枯れており、明治天皇が植えた二代目の松があるそうです。
しかし、この松も最近になって切られたようです。 https://blog.goo.ne.jp/inehapo/c/1f435f059b871ed6cee9954aa95851f5

そしてあこやの松の話には、大きく二つのものがあります。
一つ目が、陸奥国の国司である藤原豊充とよみつの娘という話です。

『藤原豊充の娘、あこや姫の元に名取左衛門太郎という男が通っていた。しかし、男の正体は千歳山の松の精であり、橋の材木にするため切り倒されてしまった。
翌日、切られたところから動かない松があり、姫が手を添えることで動かすことができた。
姫は松の菩提を弔うべく松を植え、庵を建てた。それが後の萬松寺である。』

これは萬松寺の縁起でもあり、最も有名なものではないかと思われます。

二つ目はこういう話です。

『あこや姫は藤原豊成とよなりの娘であり、当麻寺で有名な中将姫ちゅうじょうひめの妹。父が流罪になったため、家臣を頼って出羽国に落ちのびた。しかし、姫はその地で困窮の末に亡くなってしまう。
遺体が千歳山に埋葬され、そこに植えられたものがあこやの松である』

しかし、あこやの松であるということ以外は話の筋があまりにも違いすぎます。
そしてさらに、古くにはもう一つの話があったようで、

『左右衛門太郎と都にいるあこやが恋仲になった。しかし、関係が冷めたために男は故郷に帰った。
姫は男を追いかけたが、途中の川で正気に戻り、渡るときに脚を見られるのが恥ずかしいと思った。その思いに社が答え、水が乾いた。その川を恥ずかし川という。
姫は「千とせ経とうとも、男が見つかるまでは松の影から出ない」と願をかけた。この松があこやの松であり、山を千歳山という。姫は気が狂い、笠島のあたりで亡くなった。姫が祟るので、村長が道祖神に祀った』

悲劇は悲劇なのですが、最初の二つとはあまりにも違います。

そして、あこやの松に関わる話はもう一つ。
こちらは後日談なのですが、あこやの松を探していた国司の藤原実方さねかたが、道祖神の前で下馬しなかったため落馬して死んでしまったというものです。
佐倍乃神社(道祖神社)

その娘である中将姫が父の死を知りやってくる。中将実方の娘なので中将姫というわけで、藤原豊成の娘と同じく中将姫です。
そして、旅のために髪の乱れた姿が川に写り、このことから恥ずかし川と呼ぶ、という伝説があります。姫もこの地で亡くなり、墓は万松寺であこや姫と実方の墓と並んでいます。

とまあ、中将姫、藤原、道祖神、恥ずかし川がいくつかの話の中に出てくるのですが、それらが別の話で混じった形の話として存在していたりします。実のところ、平家物語が書かれた時点で、すでに複数のパターンの話があったようです。

また、最初に松がある場所を萬松寺と書きましたが、実は他にもあります。それは、笹谷ささや峠です。
ここは、松が運ばれていくとき、松と姫とが囁き合っていたことから「ささやき峠」となり、それが変化したと言われています。場所はこちらに記載されています。
阿古耶の松 | 宮城県川崎町観光ポータルサイト かわさきあそび

こちらの説明では、松と恋仲になったのは実方の娘のあこや姫とあり、話が混じっております。

しかしまあ、こういう口伝での伝承で、どれが嘘とか本当などというのも野暮な話ではありますね。

今回の場所はこちら


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