笹無山

平安時代末期、西国でまだ勢力を誇っていた平家でしたが、現在の岡山のあたりまで源氏は進出してきました。舟のない源氏は平氏を追えないでいました。
この時、源氏のために浅瀬の位置を教えた若者がいました。しかし、源氏方の武士佐々木盛綱は、この若者への恩を仇で返しました。情報を漏らさないように殺してしまったのです。

年老いた母親は半狂乱になり、「佐々木憎けりゃ笹まで憎い」と血まみれになりながら山にある笹をすべて抜いてしまいます。
そこからこの山は笹無山と呼ばれるようになり、老母の怨念からか笹は生えないと言われています。

このような怨念めいた伝説なのですが、笹無山は倉敷市内にあります。
実際に行ってみたところ、三メートルそこそこの高さの山というよりも丘みたいなところで、残念ながら熊笹みたいなものが生えてしまっています。

源平合戦の頃の話が示すとおり、この辺りの海を渡るのに源氏は苦労しているのですが、実はこの辺りの岡山平野というところは、干拓される前は海でした。山になっている辺りが島であったところです。
笹無山も当時は海の上に顔を出した島の上にあったようです。老母が抜き去った後は周囲と隔絶しており、笹が生えないような環境だったのかもしれません。

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