恋塚の話

恋塚とよばれる塚が京都の南、鳥羽にあります。こちらは以下のような伝承によって建てられたものです。

北面の武士であった遠藤盛遠もりとうは、源渡みなもとのわたるの妻、袈裟けさ御前に横恋慕した。
言い寄られた袈裟御前は、母を殺すと脅されたため断りきれず、夫の髪を濡らしておくので討ち取ってくれたら一緒になると伝えた。
盛遠は闇夜に紛れて渡の首をとったが、それは袈裟御前の首だった。自分の愚かさと罪深さを嘆き、出家して文覚もんがくとなった。
文覚が袈裟御前を弔うために建てた塚が恋塚と言われる。

このとき、袈裟御前は一四歳。なかなかの覚悟を持った人です。
しかし、操を守った袈裟御前はともかく、出家した文覚は罪が許されるのか、というのは疑問ではあります。鎌倉時代では今とは道徳観が異なるのかもしれませんが……。

文覚は源頼朝に決起を促した人物で、政治的な働きをした僧です。大河ドラマなどでも登場することがあり、「鎌倉殿の13人」では市川猿之助が演じます。

さて、恋塚ですが、鳥羽に二箇所あります。
一箇所は上鳥羽の恋塚浄禅寺です。こちらは小野篁の作った地蔵(六地蔵のうちの一つ)があることでも有名です。

恋塚の紹介
恋塚と伝わる五輪の塔

ただし、こちらの塚は恋塚ではなく鯉塚であるという話があります。

雍州府志5巻の抜粋
雍州府志5巻の抜粋

上鳥羽の碑は、元々は妖怪化する池の大鯉を殺して、そのために作った鯉塚だったと書いてますね。
しかし、鯉の妖怪の話であればそれはそれで面白いものではあります。

もう一つの恋塚は、恋塚寺(正式名)にあります

恋塚。五輪の塔
恋塚の謂れ

こちらには、袈裟御前の肖像画や袈裟御前の物語を描いた掛け軸、袈裟御前と文覚、源渡の木像があります。木像は見られなかったのですが、掛け軸と肖像画は閲覧できました。

悲劇を今に伝える2つの寺。一つは鯉塚かもしれませんが、面白いところだと思います。

今回の場所はこちら


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怪異・妖怪地図 - 京都府

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