火祭りと大蛇伝説

滋賀県守山市の勝部神社と住吉神社には、天皇の平癒にちなんだ大蛇の伝承があります。

近江の国、栗本郡と野洲郡の境に大川があった。三上山で2川に分かれそのうち南川は土山に当り大渕となっていた。その渕に昔から大蛇が住んでいて、近辺の住民は困っていたが手の打ちようがなかった。嵯峨天皇のとき、雷が鳴り天地振動することがあり、時の博士が占うと先の大川に住むおろちが天皇の命を奪おうと振動させているということだった。そこで天皇は近辺の農民を招き大蛇を退治すべしと命令した。近隣農民数万人が打寄ってついには退治した。

おろち | オロチ | 怪異・妖怪伝承データベース

この大蛇を退治した際、胴が勝部神社、頭は浮気ふけにある住吉神社、尾は瀬田で焼き、それが火祭り由来だそうです。今では瀬田で祭りはないようです。
浮気という地名は、初見ではギョッとします。

ただ、平癒した天皇を嵯峨天皇とする話と、土御門天皇とする話があるようで。

その昔、嵯峨(さが)天皇が病気になり、占いで近江の川に住む大蛇(おろち)が天皇の命を狙っていることがわかりました。そこで周辺の農民が退治に出かけ、見事勝利を収めて天皇の病気も回復。退治した大蛇の胴は勝部で、頭は同じ守山市内の浮気(ふけ)にある住吉神社で焼き、戦勝を祝いました。

民話でたどる滋賀の風景/勝部神社

鎌倉時代、土御門天皇(つちみかどてんのう)のご病気が重いので占わせたところ、この地に数千年も生きている大蛇(おろち)がその元凶だというので切り殺して火に焼いたところ、天皇が全快されたことに始まる、といわれています。

勝部の火祭り | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!

土御門天皇(鎌倉時代)と嵯峨天皇(平安時代)では300年ほど違います。どうも、祭りの公式の方としては土御門天皇の話を採用しているようなのですが……。

また、瀬田というのは百足退治に行く前の俵藤太が大蛇を踏みつけたという場所で、話としては影響があるのかと思えてしまいます。守山市自体、三上山の近くでもあります。
百足退治の話は平安時代ですが、嵯峨天皇(在位809~823年)の時代からは100年以上、新しい話になります。土御門天皇よりは前ですね。(平将門が討たれたのが940年)

また、浮気という地名自体、湿地帯であったことを指すようです。
守山市にある浮気町の読み方とその由来を知りたい。 | レファレンス協同データベース
この付近の湿地帯を制したことを、大蛇を退治したことになぞらえたのかもしれません。

勝部神社と住吉神社に行ってみたのですが、神社に説明らしきものは何もなく。特に勝部神社の方は、撮影禁止とあったため写真もありません。

浮気住吉神社
火祭の説明

勇壮な奇祭なのですが、2021年はコロナのためにやらないようです。

今回の場所はこちら


滋賀県の怪異をまとめたのはこちら
怪異・妖怪地図 - 滋賀県

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です