一夜伏塚──南北朝古戦場

千名あまりの死者を弔った塚です。

時代は南北朝時代。比叡山の僧宥覚が山門の義徒一千余人を率いて印岐志呂いきしろの宮に篭もり、足利方と戦ったとされています。
これは、建武3年に足利勢が鎌倉から京に攻め上がったことであり、ここを攻めたのは高師直です。寄せ集めの一千名足らずでは、本職の武士と戦えば勝負にならなかったことでしょう。結果、一夜にして破れたとされています。

翌日の周辺は、さぞや凄惨な光景だったと思われます。それを弔うために建てられた塚が今も残り、それが一夜伏塚いちやぶせつかというわけです。

一夜伏塚

塚自体は田んぼの道端にある、小さなものです。このようなものが残ってきたということは、地元の人に守られてきた証でしょう。

印岐志呂神社は、その後の近江の戦いで社殿が焼け、足利尊氏が再建しますが、信長の延暦寺攻めでも焼けるなどの災厄に見舞われています。
周りには、石垣や堀のようにも見える跡もありました。

門の横に石垣が見える
堀の跡? 狭いように見えますが。。。

南北朝時代は戦国よりも前ですので、あまり遺構も残っていません。伝承と共に残るここは貴重と言えます。

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