今回調べたのはあごなし地蔵。
小野篁が隠岐に流された際に彫った地蔵のことで、歯の病気にご利益があるようです。
隠岐に配流されていた小野篁が、同地で親しくなった阿古奈という女性と親しくなる。篁が赦免された際、歯痛の持病がある阿古奈のために、一体の地蔵を彫った。これが腮無地蔵の謂れ
(腮無地蔵) | (アゴナシジゾウ) | 怪異・妖怪伝承データベース
まず小野篁ですが、井戸を通じて地獄に行き、閻魔大王と会ったことがあるとされる人物です。
正直、それ以外のことはあんまり知りませんでした。
公卿であり、百人一首にも歌が採用された文化人、というのが正しい評価でしょうか。
そんな篁が流された経緯ですが、遣唐使として唐に渡るのを拒否したため、だそうです。
そして、調べてみると。大阪にあるという話が出てきます。
廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる明治2年、隠岐島の伴桂寺が廃仏に遭いました。
隠岐島のあごなし地蔵尊の遷座|由緒と歴史|東光院 萩の寺 【大阪・豊中】 納骨・永代供養・永代水子供養
(中略)
あごなし地蔵尊は艱難辛苦の末、当山に永代鎮座されたのです。
豊中市の寺、東光院 萩の寺です。
しかし、データベースとは細部に違いがあり、阿古は女性ではなく農夫であり、男ということになっています。
しかし、さらに別の話もあります。あごなし地蔵は、まだ隠岐にあるようです。
地蔵は難を逃れたのだとか。
島根県:島根県 : 小野篁(たかむら)と隠岐(トップ / 県政・統計 / 政策・財政 / 広聴・広報 / シマネスク / 2013年 / 88)
では、本物はどっち、ということですが。
隠岐のあごなし地蔵は有名で、あちこちにあごなし地蔵があるようです。
八尾市とか。大宮とか。どちらも、江戸時代に持って来たとしています。
つまり、あごなし地蔵が本物であると詐称する動機はあるようなのです。
小野篁が隠岐に居たのは一年程度。いくら島でやることがなかったとは言え、石の地蔵を彫るかどうか。石ではなく、木彫りなら時間的制約も少なかったのでは。
しかし大阪の方は明治の話で、寺の和尚さんが持参している物なのに、偽物ということがあるのかどうか。こうなると、隠岐の方が木彫りというのが逆に怪しく見えてきたり。
ただ、大阪の方のお地蔵さんが、三尊の上に立派すぎるというのも気になるわけです。
仏師では無い小野篁作ですし、見た目はあんまり良くないのでは無いか。
など、疑い出すときりがないんですが、下手な考え休むに似たり。
放射線鑑定とかしたら分かるんではないでしょうか。
今回の場所はこちら
大阪府の怪異をまとめたのはこちら
怪異・妖怪地図 - 大阪府