讃岐の大魚

景行天皇のころ、土佐の海に怪魚がいたそうです。

昔、景行天皇の御代に、悪事を繰り返す大魚が土佐の沖にいた。天皇は日本武尊の子供である霊子に討伐を命じた。霊子は悪魚を退治し、その後讃留霊王と呼ばれて慕われた。里人は悪魚の祟りを恐れて地蔵堂を建立した。

悪魚,大魚 | アクギョ,タイギョ | 怪異・妖怪伝承データベース

景行天皇は12代天皇。日本書紀では在位六十年、106歳で亡くなったとされています。日本書紀を信じるなら、西暦七一年からの在位になります。
日本武尊やまとたけるは子、讃留霊王さるれおは孫に当たることになりますが、在任期間が長いと孫まで活躍することになりますね。(ただし系譜は資料によって異なり、古事記では讃留霊王が景行天皇の御子とされています。)

さてこの魚ですが、軍船を飲み込むほど巨大なものだったそうで、ピノキオのクジラ並みです。この大きさが災いし、飲み込んだ軍船に火をつけられたために退治されたとか。
そして、その大魚を地元の人が供養します。そこがさぬき市の地蔵寺となるのですが、別名魚霊堂うおのみどうと言われています。四国八十八箇所第八十六番札所、志度寺の奥の院と言われています。

そして、怪魚を祀るところは坂出市にもあったようです。

武殻王は,この悪魚は瀬戸の海の主であろうと,あとの祟りを恐れて,頭のあった松林の中に魚御堂を建てて悪魚の霊を祀り,林田の綾川の河口に住んでこの地を治めました。

悪魚退治 – 坂出市ホームページ

この説明では武殻王たけかいこおうとなっていますが、霊子=讃留霊王のことです。ただし残念ながら魚御堂は今はなく、県立坂出高等学校の校内に石碑があるだけだそうです。

地図に示すのは地蔵寺になります。

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