人魚塚

人魚塚

今回は人魚の話です。

日本最古の人魚の話というのが日本書紀に書かれています。記述は以下のようなもので、推古天皇の27年(西暦619年?)に、蒲生川で人魚が見つかったという内容です。

蒲生河に物有り。其の形、人の如し

また、何故か同年に堺の方でも人魚が見つかったらしく、どうもこの年は何かあったのかもしれません。

さて、日本書紀には詳しく書かれていませんが、この人魚は三体らしいということです。

蒲生川の「小姓が淵」に住んでいた人魚は三匹の兄弟。尼僧に仕える小姓に成りすましていたが、正体がバレてしまい、ニ匹が捉えられてミイラにされ、一匹は逃げた日野で殺された。墓標となったのが今回の塚になります。

近くにあったお堂。関連は不明
前の用水路。大昔、ここを泳いで逃げてきたのだろうか。

人魚のミイラは東近江市の願成寺と、和歌山の学文路苅萱堂にあります。(願成寺のミイラは非公開。)

ただ、日本書紀にも書かれているという辺りは由緒あるものではあるんですが、なんのために作られたのかは定かではないようです。もし本当に人魚が埋められていても、よほどのことがない限りは土に還っているでしょうし。

また、近くに鬼室神社というものがあるのですが、そこに鬼室集斯の墓とされる石柱があります。明治になって墓と知られるようになったわけですが、以前はここも人魚塚と言われていたそうで。

そう聞くとこの人魚塚も、由来不明のものをそう言ってただけでは、という疑惑が湧いてきます。

また、醍醐天皇に災いをなした人魚をここに葬ったという、全く時代の異なった話もあったりします。

琵琶湖の主である大きな鯉と投身自殺した女の間にできた人魚が醍醐天皇に憑いて病気にしたため退治された。この人魚のミイラは蒲生町に、人魚を弔うためにつくられた人魚塚は日野町にある。

人魚,池の主 | ニンギョ,イケノヌシ | 怪異・妖怪伝承データベース

いずれにせよ、伝承として、日本書紀からの話が蒲生川に残っているということが重要です。

和歌山の人魚が作りものであれば、距離で言えば、和歌山の人魚は堺の人魚であっても良かったはずです。作りものでないならば、蒲生川周辺だけでなく、和歌山にもこの人魚伝説の証拠があるという話になります。そういう方がロマンがあって良いのではないでしょうか。

今回の場所はこちら


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