姫塚──落城と姫君と祟りの話

姫塚は、滋賀県の日野町にひっそりと存在する、地元でもあまり知られていない石碑になります。

その経緯は案内板があり、そこに全部書いてありますが。

上迫城が戦国時代に落城した。その時の姫君がこの辺りで自害し、村人が塚を作りダマの木を植えて供養した。大木になった木を寺の薪に使った所、その寺は全焼したため、再び木を植えなおした。昭和34年に道路工事で塚がなくなることになったため、石碑を建てた。

案内板

ということになります。つまり塚も木も現存せず、近くの道路のどこかがそうだった、ということになります。

置かれてから時間が経ち、字を読むことは難しい

城は西側にあるそうですが、行ってません。全焼したという真龍寺は南の方にあります。

姫塚の西側。地図上の表記から、道か民家の奥の丘陵に城はあったと思われる。

上迫城は儀俄ぎが氏の城だったわけですが、ここが落城したきっかけはよく分かりませんでした。

儀俄氏は六角氏、蒲生氏の家臣としての位置づけですので、これらのお家争いのときに焼けたとかいうことなのか、はたまた信長の近江進行のときなのか。
誰かの本拠のような城なら明確な記録が残ってるようですが、この規模の城では難しいようです。分かってるなら案内板の方に書いてそうですしね。

気になるのは、道路工事のときには祟りめいた事はなかったのかということです。戦国からは400年以上が経ち、姫の思いも浄化されていればいいのですが。

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