呪われていた、かえる石

元々、河内にあった殺生石を豊臣秀吉が気に入って持ち帰ったもの。大阪城落城の際に淀君の遺骸が下に埋められたとか言う話も残っています。
明治になってからは城を軍が使っていましたが、この石の近く身投げする人が多いだとか、堀の入水死体が寄ってくるなどと噂され、(おそらくは)噂を気にかけた軍によって隠されました。
戦後になって呪われた石とされていた当石も、元興寺がんごうじに来ることになりました。
今では、付いていた霊も供養され、カエル石も無事帰るという意味に転じたとして、縁起物であるとされています。

ちなみに、元々は門真市にあったという話があるようですが、これだと秀吉が気に入って持って帰ったということにはならないですね。
かどまの民話「蛙石」/門真市

かえる石

こちらがかえる石。ガマガエルが伏せた感じに見えるでしょうか。

元興寺自体は元は飛鳥にあった日本最古の寺で、日本最古の鬼退治伝説もある寺です。
飛鳥から奈良に移り、元の寺は法興寺(飛鳥寺)になっています。

元興寺文化財研究所という施設を有しており、各地の文化財修復を受けているようです。
敷地内では所持する文化財や修復したものを含めた展示があり、なかなか見どころがありました。

今回の場所はこちら


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