元興寺塔跡の啼灯籠

元興寺は日本最古の鬼退治で有名ですが、現在の元興寺の近くに「元興寺 塔跡」があります。消失してしまっているのですが、かつては興福寺よりも高い五重塔があったそうです。 そこに一つ、灯籠があります。啼灯籠(なきどうとう)だそうです。新しい灯籠を寄進し、古い灯籠を変わりに貰い受けたところ、夜な夜な啼くのでもとに戻したというようなことが書いています。 行った頃には紫陽花が咲いていましたし、八重桜や牡丹も見

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草を食べる馬面の魚

馬魚と書いてウマウオと言うようです。ワタカと言い、琵琶湖にいる固有種(あるいは、遺存種)です。絶滅危惧種でもあるこの魚、昔から内山永久寺や石上神社の池に生息しているようです。 それには、次のような逸話かあります。 後醍醐天皇が笠置山から吉野に逃れる際、一時的に内山永久寺に立ち寄った。その際、今まで乗ってきた馬が倒れてしまった。介抱の甲斐なく死んでしまい、その霊が馬面で草を食べる魚として池に現れた。

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夫婦の牛を祀った塚 ── 牛塚

 昔、ある農家によく働くひとつがいの牛がいました。 ところがある日、雄牛は働き過ぎて疲労が重なり、手当のかいもなく、死んでしまいました。 家の人はたいそうがっかりしましたが、せめて牝牛だけでも元気で働いてほしいと思い、毎日、おいしいエサを与えました。  しかし、牝牛は雄牛が死んだショックが大きかったのでしょう、日に日に元気がなくなり、食事もとらなくなりました。  雄牛を慕うその姿を見て、家の人はふ

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天の岩戸を開く作戦会議──天高市神社

天照が天の岩戸に隠れた事件があります。どうもここは、その事件で神々が作戦会議を開いたとされる神社が天高市(あめのたけち)神社です。 行ってみたのですが、どのあたりに集まったのかという具体的なことは分からず。広さとしても、八百万の神々が集ったにしては手狭かもしれません。以前はもっと広かったのか、神々にとって場所の広さなど関係ないというところもあるのかもしれないですね。 御由緒 今回は行かなかったので

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呪われていた、かえる石

元々、河内にあった殺生石を豊臣秀吉が気に入って持ち帰ったもの。大阪城落城の際に淀君の遺骸が下に埋められたとか言う話も残っています。明治になってからは城を軍が使っていましたが、この石の近く身投げする人が多いだとか、堀の入水死体が寄ってくるなどと噂され、(おそらくは)噂を気にかけた軍によって隠されました。戦後になって呪われた石とされていた当石も、元興寺(がんごうじ)に来ることになりました。今では、付い

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味噌汁をかけられて退散した大蛇:蛇塚

蛇穴と書いて「さらき」と読む。こんな地名が奈良にあります。まず、初見では読めません。 蛇のとぐろや、土を紐状にして輪にして積み上げて作る土器をサラキと言うらしく、そこから関連された当て字ではないかと思われます。 さて、蛇穴という地名から想像できますが、蛇に関連する伝承があります。 かつて役行者に振り向いてもらえない女性が姿を変えて蛇になりました。その姿を村人に見られたが、村人から弁当の味噌汁をかけ

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千人の垢を落としたら如来が出てきた件

法華寺には浴室があります。これは「から風呂」である、蒸し風呂の一種です。作られたのは奈良時代ですが、建物自体は明和3年(1766年)に再建されたものになります。 ここで起きたとされる伝説は、以下のとおりです。 光明皇后は聖武天皇の后です。皇后は庶民の救済にも力を入れ、施薬院(やくいん)を作り、庶民のために薬を与えました。救済の一つとして、この浴室で千人の病人の垢(あか)を流す業を行ったところ、千人

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