呪われていた、かえる石
元々、河内にあった殺生石を豊臣秀吉が気に入って持ち帰ったもの。大阪城落城の際に淀君の遺骸が下に埋められたとか言う話も残っています。明治になってからは城を軍が使っていましたが、この石の近く身投げする人が多いだとか、堀の入水 … 続きを読む
元々、河内にあった殺生石を豊臣秀吉が気に入って持ち帰ったもの。大阪城落城の際に淀君の遺骸が下に埋められたとか言う話も残っています。明治になってからは城を軍が使っていましたが、この石の近く身投げする人が多いだとか、堀の入水 … 続きを読む
蛇穴と書いて「さらき」と読む。こんな地名が奈良にあります。まず、初見では読めません。 蛇のとぐろや、土を紐状にして輪にして積み上げて作る土器をサラキと言うらしく、そこから関連された当て字ではないかと思われます。 さて、蛇 … 続きを読む
千名あまりの死者を弔った塚です。 時代は南北朝時代。比叡山の僧宥覚が山門の義徒一千余人を率いて印岐志呂(いきしろ)の宮に篭もり、足利方と戦ったとされています。これは、建武3年に足利勢が鎌倉から京に攻め上がったことであり、 … 続きを読む
これは妖怪DBには無いものです。 滋賀県の守山にある源内塚。源内兵衛真弘という武士を祀ったもの。内容は、平治物語に記述があります。 平治の乱に破れて都落ちした源義朝一行。居眠りをし、はぐれた頼朝。平氏方の侍である源内含め … 続きを読む
昔、松山市内では馬に乗った武士の怨霊が出たそうです。 三木寺城主の犬坊が戦で死に、その亡霊が馬に乗って現れた。それを見ると病気になるという。殿様の使者が来て立ち去るように怒鳴ると、白紙のようなものが東に飛び去り、その後そ … 続きを読む
滋賀の愛荘町に歌詰橋という橋があります。実はこの橋、平将門の首がここに落ちたという伝説を持つ橋です。 将門の首を挙げた俵藤太が京都に来る際、首が関東から追いかけてきた。しかし、俵藤太から歌を読むように促され、首は歌に詰ま … 続きを読む